皆様こんにちは、霜柱です。
下重暁子さんの『明日死んでもいいための44のレッスン』(幻冬舎新書)を読みました。

今回はこの本を読んだ感想を書いていこうと思います。
感想
エッセイの様な感じ
この本はパートⅠとパートⅡの2部構成ですが、パートⅠは下重さんの過去の人生の振り返りや死生観について書かれており、パートⅡで表題の事に触れています。
読む前はハウツー本に近い感じなのかと思っていました。しかし、どちらかというとエッセイの様な感じだったので、読みやすかったです。
目新しい事は無い
44のレッスンも「こうするべき」みたいな書き方ではなく、あくまでヒントとして提示している印象を受けました。
ただ、この44のレッスンですが、正直殆どが「何だか、過去に別の本で読んだ事あるような・・・」という内容です。
なので目新しい事は書かれていないと言って良いでしょう。
でも、だからこそ、明日死んでもいいためには何か特別な事をするのではなく、今日という日を、何気ない普段の日常を大切にして生きる。そういった事が何よりも大切なのかもしれません。
印象に残った部分
個人的に印象に残った箇所を引用します。
いいわけとは一種の甘えなのだ。(略)
8 いいわけをしない
大人が「でも」だの「だって」だの言うのは、あまり格好いいものではない。
プライベートなら許せても、その癖が仕事にまで及ぶと、公の場では許しがたいし、マイナスの評価につながる。
おぉ・・・なかなかの厳しいお言葉。確かに仰る通りですね。私の周りでも言い訳がましい人がいます。とは言っても、私も言い訳をしてしまう時があるので人の事は言えませんが・・・。
いじめというのは、その意味で一種の殺人といってもいい。そんな偏見に負けずに強く生きろ、などと口で言うのは易しいが、希望が何もないという精神状態に追い込まれた時、自死を否定できるかというと、私にはできない。
21 自死を頭から否定しない
勝手な思い込みですが、下重さんは「自死は絶対ダメ!」と言いそうな感じがしたので、この言葉は意外でした。
詳しくは書きませんが、私もそれを考えた事があります。当時の職場の上司からはパワハラを受け、更にあらゆる事が何もかも上手くいかず、本当にこの世から去ろうかと何回も頭をよぎりました。・・・思い出すだけでも辛いです。
私の周りで自死を選んだ人はいませんが、もしそういう結末を選んでしまった人が出たら、私はどう反応するのか? それに関してはその時にならないと分からないでしょう。
自死は非常に複雑な問題で、絶対的な答えは出ない気がします。
他に「若い友達を持つ」「慌てない平常心を保つ」と言った事も印象に残りました。
まとめ
正直、この本を読んだら即座に明日死んでもいい状態になれる訳ではありません(そりゃあそうですよね)。ですので、そういった事を期待して読むと肩透かしを喰らった気持ちになる可能性はあります。
また、目から鱗みたいな事も書かれていないです。けれど、参考になる事はあるかもしれません。