皆様こんにちは、霜柱です。
アメリカの数学者、ノーバート・ウィーナー(Norbert Wiener)の『神童から俗人へ わが幼時と青春』(鎮目恭夫・訳、みすず書房)を読みました。

今回はこの本を読んだ感想を書いていこうと思います。
感想
幼少期から31歳までの出来事を語っている
12歳でカレッジに入学、15歳以前に学士号を得て、18歳で博士号を取得したノーバート。
これだけでも、彼が只者ではない事が分かります。
神童と言うと周りからは「凄い、天才だ!」みたいに思われるでしょう。しかし、神童だからこそ、他の方には理解されにくい苦労があったのです。
まずは父親、レオからの厳しい勉強です。上手く答えられなかったり間違えたりしたら、暴力は振るわれなかったとの事ですが、結構貶された様です。
レオも優秀で何ヶ国語も話せましたが、仕事は上手くいったとは言い難かったようです。
ノーバートにとって父親は愛憎入り混じった存在と言えるでしょう。子供の頃は大変でしたが、大人になるに連れ父親との関係は良くなってきた印象を受けました。
それでも、子供の時に味わった苦労は忘れる事は出来ないでしょう。
印象に残った文があります。
半分は自分が大人の世界に属し半分は子どもの世界に属していることからでてくる苦しみを味わうのである。
これは神童だった方にしか分からない事かもしれません。
あらゆる経験が糧になったのかも
神童は就職先や進路に悩まなさそうな感じがしますが、決してそんな事はありません。
ノーバートは色々な苦難や経験をします。
彼がユダヤ人だというだけで嫌な目に遭った事、第一次世界大戦では視力が悪かったのであまり活躍が出来なかった事、などを語っています。
他に工場勤め、下働きの原稿書き、計算手などの仕事もしていました。
ただ、こういった経験が人生の糧になったと感じているのが幸いだと言えるでしょう。
もし、「何で自分はこんな事やってるんだ。もっと活躍出来た筈なのに」みたいな思いを抱いていたら、彼は数学者として大成しなかったかもしれません。
定期的に自然に触れていたのも良かったとも思いました。
因みに本書にウィリアム・ジェイムズ・サイディズという人物が出てきます。彼も神童でしたが、人生後半は悲惨な目に遭いました。
ノーバートがそうならなくて本当に良かったです。
印象に残った言葉
先に引用した言葉とは別に印象に残ったのが他にもあります。
自己を憎む人間は、免れることのできない敵を自身の内に持っているのであり、そこには失望と幻滅と遂には狂気のみが待っている。
私にはこの言葉がとても深く突き刺さりました。決して他人事と思えない言葉です。何だか、今の私に向けて言っているとしか思えなかったのです。
詳しくは書きませんが私は数えきれない程、自分自身を憎みました。そんな状態の時にこの言葉に出会ったのは、偶然とは思えません。
他にも印象に残った言葉は、
つねに正しかった人は、失敗の大きな恩恵を学びとっていないのである。
失敗を恩恵と捉える姿勢は出来そうでなかなか出来ません。失敗すると自分が嫌になったりします。私もそうです。しかし失敗を経験する事によって、人間的な成熟をするのかもしれませんね。
簡単なまとめ
この『神童から俗人へ わが幼時と青春』は予想よりも淡々とした文体で書かれていたので、それがちょっと意外に感じました。失礼ですが、もっと自身の手柄や苦労を得々として語っていそうな気がしたので・・・。
ですが、その文体がとても良かったと言えます。ニュートラルに自身を語っている姿勢が、読む者を惹き付けたと言っても過言ではありません。
もし、これが「俺はこんな苦労をして大変だったんだぞ!」「こういう事を俺はやったんだぞ!」みたいに語っていたら、読者を惹き込む事は無かっただけでなく、数学者として大成する事はなかったかもしれません。
ちょっと数学が出てくる部分があるので、その辺りはよく分からなかったですが(笑)、神童という人生の一部を本書で知れたのは良かったです。
彼の人生に興味がある方は読んでみてはいかがでしょうか?