皆様こんにちは、霜柱です。

日本の詩人/随筆家の串田孫一さんが書いた『文房具56話』(ちくま文庫)を読みました。

今回はこの本を読んだ感想を書いていこうと思います。

感想

文房具に関する著者のエピソードが載っている

本書はタイトル通り56種類の文房具(ごく一部そうでないのもあるが)についての事が載っています。

ただ、文房具の歴史とかあらましではありません。著者の串田さんがその文房具を使用した際の感想や思い出などをエッセイ風に書いています。

ですので、文房具が好きな方は「自分もそうだ」「分かる分かる」みたいに共感する部分があるかもしれません。

串田さんが文房具に愛着を持ちながら使用しているのが、しみじみと伝わってくる内容と言えるでしょう。

子供時代を思い出す気持ちになれた

串田さんが子供の頃だった時の事も描かれているので、読んでいると私も子供時代を思い出したりしました。

消しゴムのエピソードは「正にその通り!」と感じましたし、今でも変わっていないでしょう。小さい球形になると行方不明になりやすくなってしまいますし。

「黒板に書く自分の字がいかに貧弱に見えるか」と串田さんは書いてますが、それは私も全く同じです。特に同級生の字と比べた時、何だか自分の字って頼りなくて情けなく見えてしまうんですよね・・・。

ああそうだ、画鋲って確かに便利ですが壁に穴が開くのが嫌です。それだけでなく、落としてしまって踏んだりしたらケガをする可能性だってありますから。私も学校の廊下で踏んづけた事があります・・・。

私も昔、新聞の切り抜きをスクラップブックにしていた事がありました。でも、これって最初は溜まる事に快感を得ますが、多くなってくると扱いに困ったりします。なので、どうしようかと悩んだりしましたが、最後は面倒な気持ち且つ飽きてしまったので止めました(笑)。

もうほぼ使われていないであろう文房具…

「どう考えてもこの文房具、ある世代から上の方達しか知らないだろう・・・」という文房具も出てきます。

例えば、吸取紙、状差、謄写版とかをすぐにどんな物で使用用途は何か? などを答えられますか? 私は答えられません。というより、これらを私は多分、見た事も無い気がします。

著者の串田さんは1915年生まれなので、串田さんが若い頃なら普通に使われていたのかもしれませんが、2026年現在、これらを使っている方ってどのくらいいるのでしょうか?

印象に残った言葉

本書を読んでいて印象に残った串田さんの言葉があったので引用します。

平和な時にあまり発達し過ぎた機械類は、何か一つ欠けると機能は全くとまる。

その通りだと言えるでしょう。何事も無い平常時ならしっかりと通常運転出来ていても、何か1つ不都合な事が起こると、それだけで機能しなくなってしまう機械は沢山ある気がしますね。

文化というものは、ある底力を持った根強さはあるが、その上に築かれている部分は意外に脆いものであって、愚かな権力者が現れて、その文化を無駄なものだと無茶なことを言い出すと、簡単に崩れて、抵抗力がない。

人間はこれを数えきれない程しています。それどころか、現在進行形で起きているかもしれません…。
でも、これは同時に文化の共生がかなり難しい事を表している気もします。
自分達の文化に誇りを持つのは良いと思いますが、「俺たちの文化の方が上だ!」みたいな態度を取って、他の文化を蹂躙するのは間違っていると言って良いでしょう。
全く、人間という奴は・・・。

簡単なまとめ

本書は色々な文房具の事をエッセイ風に書いた内容となっています。読んでいて、著者の串田さんの文房具愛が誌面上から伝わってきました。文房具が好きだという方なら共感出来る箇所が色々あると思います。

その様な内容なので、文房具の歴史や変遷を知りたいと思っている方にとっては、本書は違うと感じてしまう可能性はあるかもしれません。

因みに串田さんは2005年に亡くなりました。串田さんの家には文房具だけでなく本も沢山あった様なので、それらの行方がどうなったのか少し気になりますね。

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ABOUT ME
霜柱
ハードロック/ヘヴィメタル(特にメロハー・メロスピ・メロパワ・シンフォニック)を聴いたり、宝塚(全組観劇派)を観たり、スイーツ(特にパフェ)を食べる事が好き。これらを主に気儘なペースで記事にしています。 Xやインスタも気儘に投稿中。