ヴィクトール・E・フランクル『意味への意志 ロゴセラピイの基礎と適用』を読んだ感想

皆様こんにちは、霜柱です。
オーストリアの精神科医/心理学者、ヴィクトール・E・フランクル(Viktor Emil Frankl)の『意味への意志 ロゴセラピイの基礎と適用』(大沢博・訳、ブレーン出版)を読みました。

今回はこの本を読んだ感想を書いていこうと思います。
感想
正直殆ど・・・
一応、完読しました。ただ、正直に言うと内容がハード過ぎて私には全く理解出来ませんでした。
何を言いたかったのか? 何を伝えたかったのか?
そういったのを一切合切掴む事は出来なかったです。
書かれている内容
そんな頭がパンクした状態で読んでいたので、これがこうとかそう言った事を自分なりに咀嚼は出来ていません(出来ていない事ばかりだな・・・)。
ただ、それでもどういった事柄が載っていたかを簡単に箇条書きします。
- 次元的存在論
- 実存的精神医学
- ホメオステイシス原理
- 実存的空虚
- 逆説的思考
- 直線上と曲線上の線の話
他にもありましたが、まあ、こんな感じです。
で、これらについて私がどう思ったかについては書くまでもないでしょう・・・。
著者と患者の対話も載っていましたが、それもどういう事なのかよく分かりませんでした。
印象に残った言葉
そんな状態だったとはいえ、「おぉ!」と思った言葉が幾つかあるので、それを引用したいと思います。
快楽原理は自己破壊
個人が快楽を目ざせば目ざすほど、彼は目ざすものを失っていく。
これらの言葉って、快楽を追求すると休まったり満足するどころか、より不安になったり不満が溜まったりするような感じでしょうか? 最悪、自分を見失ってしまうとか?
独自の意味を見いだすことで新しい価値が創造されるのではなく、反対のことが起こっている。普遍的な価値がおとろえかけている。これが、ますます多くの人が目標喪失と空虚、あるいは私のいう実存的空虚の感情にとらわれる理由なのである。
正直な所、この言葉もよく意味が分かりません。でも何故か惹かれたのです。
独自の意味と言うのはオリジナリティ溢れているという事ではなく、それどころか自分の世界観を狭めたり偏向したり、最終的には他者との繋がりを断って自分すらも無くなってしまう感じ、という事でしょうか?
超簡単なまとめ
内容は難解で哲学的です。なので、特に哲学的な事を知っている方でないと読むのに大変苦労すると思います。
また、「生きるとは何か?」みたいな事を単に表面上の喜怒哀楽ではなく、もっと深層まで多面的に考えられないと理解するのに大変になる気もします。
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