皆様こんにちは、霜柱です。
ドイツの詩人、アーデルベルト・フォン・シャミッソーの『影をなくした男』(池内紀・訳、岩波文庫)を読みました。

今回はこの本を読んだ感想を書いていこうと思います。
感想
マジョリティの暴走
フィジカルな存在だったら、何にでも影はあります。私達人間にも1人1人影が付いているので、日常的な物だと言って良いでしょう。ですが、誰も影に気を配る事はしていないでしょう。私もそうです。
「何だか今日の影は締まりが無いなぁ…」「規則正しい生活をしているから、影もキリっとしているぜ!」みたいな事をしている人はいるでしょうか? 多分いないでしょう。
ですが、人々にとって影はあって当たり前だという認識です。
本作の主人公であるペーター・シュレミールは影が無い事をあらゆる人々から責められ不気味がられます。酷い場合は人間として扱われない場面も登場します。
私は読んでいて「じゃあ、あんたは普段からちゃんとあんた自身の影を大事にして生きているのか?」と思ってしまいました。
文章自体は読みやすくて優しいですが、その分心無い人々の言葉がより深く刺さったのです。
大袈裟かもしれませんが、マジョリティの暴走の様なのを感じましたね。
灰色の服の男は悪魔というより・・・
灰色の服の男という悪魔が登場します。この悪魔がペーター・シュレミールの影を剥がして持っていってしまうのです。
この悪魔ですが、個人的には人間の欲望、卑劣さ、脆さなどを具現化した存在の様に感じました。
何にせよ、あまり良い気分になる存在ではありません。
ただ、本当の悪魔は灰色の服の男ではなく、ちょっとした事で偏見を抱いてしまう人間の様な気がしました。
作者自身の事か?
時折、主人公のシュレミールが、この作品の作者でもあるシャミッソーに問いかけている描写がありますが「シュレミールというのは実はシャミッソー自身ではないのか?」と感じました。
シュレミールは物語の後半で自然研究者となり、世界中を旅するのです。
作者であるシャミッソーも植物学者として活躍しました。
本作は小説ですが、半分くらい彼自身の自伝的な要素がある様な気がします。
簡単なまとめ
優しい文体をしており、内容も分かりやすいので直ぐに読み終える事が出来ると思います。
私が読んだ岩波文庫版は解説みたいなのを入れても約150ページでした。
ただ、書いてある事は結構深いです。なかなか考えさせられる様な内容になっていると言っても過言ではありません。
2025年現在でも充分に通用するでしょう。
とは言っても肩肘張らなくても良いです。
普通にメルヘン小説としても楽しむ事は出来ますので、そういった内容が好きな人は読んでみてはいかがでしょうか?