鷲田清一『わかりやすいはわかりにくい? 臨床哲学講座』を読んだ感想

皆様こんにちは、霜柱です。
日本の哲学者、鷲田清一さんが書いた『わかりやすいはわかりにくい? 臨床哲学講座』(ちくま新書)を読みました。

今回はこの本を読んだ感想を書いていこうと思います。
感想
良い意味の曖昧さは許されなくなっているのか?
今の日本、いや世界はどんどんオール オア ナッシングになり、同調の強制が強くなってきている様に感じます。
でも、世の中というのはもっと曖昧でよく分からない事物ばかりの筈です。そういったのを「よく分からないね」と認めて、でも思考放棄をせずに自分なりに考えていくのが大事だと思います。
ただ重要なのは、自分で導いた答えはあくまで自分が出したものであって、それが相手も同じとは限りません。「自分はこう思った」ことは提示しても「君も私と同じでしょ」と同調を迫ってはいけないでしょう。
こんなの当たり前っちゃ当たり前なんですけどね。でも、それが出来ていない人が結構多い気がします。勿論、私も含めて・・・。
相手の声に耳を傾ける重要さ
正直、本書の内容を完全に分かった訳ではありません。でも、全体的に共通していそうなのは相手の声に耳を傾けるという事の様な気がしました。
でも、今の時代はスピードが速いので、「答えを早く出して!!」とつい迫ってしまう場面が多いと思います。この傾向は未来になる程強くなりそうな気がします。
しかし、そんな環境の中でも出来る範囲の中で、自分で思考して相手の事を考えて、相手の声を聞く。それを忘れてはいけないという事なのでしょう。
とは言っても、著者の鷲田さんが書いている通り、相手の声に耳を傾けるのってかなり高度で難しいんですよね・・・。
私も焦ってしまってつい「それってこういう事でしょ?」と急き立ててしまった事があるので・・・。
他に印象に残った諸々
理解出来たか否かは別として、本書を読んで他にも色々印象に残ったのはあります。
それを箇条書きで書いていこうと思います。
- 分からないものに囲まれている時は、これまでとは違う視点から問い直してみる。
- 「身」はこころではないが、完全に違うとも言い切れない。
- クレーマーの気持ち。
- 出来る事と出来ない事の視点。
特に印象に残った言葉を引用すると、
何にでもなれるというのは、自分のしたいことが見えないかぎり、何にもなれないということでもある。
人によっては厳しく聞こえるかもしれませんが、私には真理の様に感じました。
でも、だからと言って無理して自分のしたいことを見つけなくても良い気がします。その時は自分が出来る事が何かを分析して、それをやれば、もしかしたら何か変化が起きないとも限らないかもしれません。
あと、定年を迎えた連れ合いの話も印象深かったです。
家にいつもいる様になった時は、既に2人はとっくに別々の時間に生きている状態になってしまっている、というのは本当にその通りだと感じました。
簡単なまとめ
いつの時代もそうですが、生きにくいと感じる時は誰にでもあります。本書を読めばそれが解決する訳ではないですし、鷲田さんも「絶対これ!」という答えを出している訳ではありません。というより安易に答えを出してもいけないのかもしれません。
でも、ヒントになる様な事は色々と書かれていると思いました。
重要なのは、自分で考えて相手の声を聞く、という行為です。
簡単な様で結構難しい。特に相手の声を聞くっていうのが・・・。
また、世の中の行動や仕組みを一方向だけではなく、別方向から見ると「そういう見方があるのか」と感じる時もあります。
本書はサブタイトルに重点を置いていますが、人間の生き方みたいな事を問いている内容ですので、それに興味がある方は読んでみてはいかがでしょうか?
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