皆様こんにちは、霜柱です。

日本の漫談家、綾小路きみまろさんが書いた『しょせん幸せなんて、自己申告。』(朝日新聞出版)を読みました。

今回はこの本を読んだ感想を書いていこうと思います。

感想

著者の温かみのある言葉がしみじみと響く

きみまろさんの毒舌の漫談は強烈で面白いです。なので、本書もそういった感じで書かれているのか、と思いきや違いました。たまにそういった書き方をしている部分はありますが、全体としては温かみのある人生論という感じです。

幼少の頃からの事が書いていますが、何よりも驚いたのは30年という長い下積み時代があった事です。
「そ、そんなに長い期間、下積みがあったの!?」とビックリしましたが、そういう時があったからこそ、きみまろさんの芸や人生に味わいや深みが出るのでしょう。

でも、私だったら30年も下積みなんて出来ないです。途中で諦めてしまうと思います。

しかし、きみまろさんはどんなに失敗や苦しい思いをしても諦めなかった。だからこそ、この様にして輝いているのだと言えます。

きみまろさんの言葉は優しいけれど熱さや現実味もあると、言って良いでしょう。

読んでいて励まされながらも、少しホロリとしました。

心に沁みた言葉

誌面上からはきみまろさんの温かさがジンジンと伝わってきました。色々と沁みた言葉はありますが、その中から特に個人的に印象に残ったのを引用しようと思います。

まだ置かれていない場所に椅子を置きにいくんだ

どんな所もそうだと思いますが、椅子の数って限られています。それを多数の人が争って自分が座ろうとします。
しかし、きみまろさんはそうではなく、自分が椅子を置きに行く。
ある意味、発想の転換と言えそうです。望みの場所に自分という椅子を置くのは簡単な事ではないですが、それを実行したきみまろさんだからこそ説得力を感じました。

人それぞれ、役割が違うのですから、器の形や大きさを比べたって、意味はないのです

人ってどうしても他人と何かしらの能力や見た目、地位、残高などを比べて、それでいちいち一喜一憂しています。私もしちゃってます。
「人と比べても意味が無い」と頭では分かっていても、なかなかそうはいかないです。
でも、そういう時はきみまろさんのこの言葉を思い出してみようと思います。

日が陰り光を失ったときにこそ、その人の正体は生々しく浮かび上がります

これは本当にその通りです。本当に実感しています。若い頃はまだまだ活力があり心身ともに元気だったりするでしょう。しかし、年齢を重ねると単なるガッツだけでは乗り切れなかったり、見た目の衰えが目に見え始めるのです。
しかし、きみまろさんはそれを否定しているのではなく、そういう状態になった自分を受け入れよう、と優しく言っている気がしました。

嘘をついてごまかせば、必ずどこかにしわ寄せがくるようになっている

元タカラジェンヌの小嶋希恵さんも『タカラヅカ式 美しい人の作法の基本』で、同じ様な事を書いていますが、正にその通りです。
上手い嘘で一時しのぎは出来ても、年月が経ってからそれがドカーンとなって戻って来ます。私もそう言った事を何回も経験しているので、この言葉はかなり刺さりました。

まだまだ沁みた言葉はありますが、私が特に刺さったのは上記の言葉です。

他に、結婚をカフェオレに例えた話や、褒める方法も非常に機知に富んでいて参考になりました。

簡単なまとめ

綾小路きみまろさんの温かみがありながらも、しっかりとした芯のある励ましの言葉や前向きな言葉が沁みます。
ただ、人によっては「毒舌が足りない」「もっとガツンとした言葉がほしい」と感じる可能性は無きにしも非ず。

とは言っても、名言と呼んでも良い言葉は沢山ありました。難しい言葉ではなく分かりやすく書いていますが、だからこそより響くのでしょう。

また、ご自身が幼少の頃からの事も書かれているので、その辺りもファンにとっては興味深いと言えます。

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ABOUT ME
霜柱
ハードロック/ヘヴィメタル(特にメロハー・メロスピ・メロパワ・シンフォニック)を聴いたり、宝塚(全組観劇派)を観たり、スイーツ(特にパフェ)を食べる事が好き。これらを主に気儘なペースで記事にしています。 Xやインスタも気儘に投稿中。