幸田文『みそっかす』を読んだ感想

皆様こんにちは、霜柱です。
日本の小説家、幸田文(こうだ あや)の『みそっかす』(岩波文庫)を読みました。

今回はこの本を読んだ感想を書いていこうと思います。
感想
子供時代の幸田文とその周りの人々が書かれている
本書に登場するのは子供だった時の幸田文、父親の幸田露伴、実母、継母、弟、祖母、伯母などの家族や、学校の同級生や先生などが登場します。
淡々とした文章でしたが、なかなか複雑な環境にいたんだなと感じました。
特に父親や継母に対しては、簡単には言い表せない愛憎が絡み合っていて、それが大人になっても決して忘れられないという思いが文面から伝わってきました。
父親や継母が辛く当たる時もありましたが、でもいつもそうではなく優しい時もあるので、それが却って繊細な感情をもつ著者に影響を与えたと言えるでしょう。
印象に残った話
私としては〈父の再婚〉が読んでいて胸を締め付けられました。
ままっ子と同級生からはからかわれ、先生からは継母の存在を勝手に嬉しい事だとされている。
同級生も先生も幸田文の思いを何も知らずに好き勝手言っている事に憤りすら覚えました。
あまりにも無神経だと断言して良いでしょう。
〈ゆかた〉の話も胸を刺しました。
幸田文の言い分も継母の言い分も、どっちも分かるのです。でも2人の思いが上手く交わらない所に虚しさを感じました。ましてや、子供の時にそういう目に遭ったら尚更影響を及ぼすでしょう。
あと、印象に残った言葉として、
なぜ、大人の世界と子供の心の中には誤差ができるのだろう。
があります。
これは本当にその通りだと言えます。この誤差って単なる人生経験の差で発生するのでしょうか? それもあるかもしれませんが、それだけではない様な気もします。
大人は誰でも子供時代がありましたが、大人になると「子供の頃の自分がどういう人間でどんな考えを持っていたか?」というのを忘れてしまうのかもしれません・・・。
他にも「何でそんな目に?」と思う話がありましたが、幸田文は決して恨みつらみを書いている訳ではないです。
大人になってから、子供時代の自分がどんな性格で、どんな言動を取っていたか? それらを冷静に分析や俯瞰をしながら書いています。それは出来そうでなかなか出来ない事だと思います。
昔も今も人間は大して変わらない
よく「昔の人は気骨があった」「昔の日本人は精神的に熟していた」などという人がいます。特に明治から昭和初期にかけて立派な日本人が多かったようですが・・・。
でも、『みそっかす』を読むと決してそうではない事が分かります。
登場人物は皆、現代の私達と性質は変わらないと言って良い様でしょう。
子供の頃の幸田文はお転婆で気が強そうな面がある一方、繊細で脆い所もある印象を受けました。現代にも間違いなくいそうな女の子です。
他にも父親の露伴、継母、同級生など、現代人と変わらず幼稚な部分があったり感情的になったりしています。
ですので、人間って特定の時代だけ精神的に熟すことは無いし、逆に子供っぽくなる事も無いんだな、とある意味安心感を覚えましたね。
簡単なまとめ
本作は小説ではなく随筆的な作品です。子供の頃の幸田文が幸田家を始めとして、周りにいる人々がどの様に映り、どの様に接してきて、どの様に感じたか、などを淡々とした、しかし繊細な文体で書かれています。
中には心が痛くなる話もあったりするので、正直読んで楽しくなる様な気持ちにはならないでしょう。
しかし、緻密な描写や表現なので、ページを繰る手が止まりませんでしたね。
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